肌も心も透明に。わたしに還る Holistic Care|HANA ORGANIC

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2022.4.13

“常若”に学ぶ、つねにみずみずしく、清々しく在るための2つの作法。(2)

 

『穢れを払う』ー浄化の習慣ー

古来から現代まで続く、

水で洗い清めるという感覚

 

前回

春夏の美容は、和のサスティナビリティ精神 “常若(とこわか)”に学ぶ(1)

 

 

神聖さや清浄さの反対に位置するのは、穢れや不浄。こうした「聖なるもの」と「俗なるもの」といった二次元的な捉え方は、質や程度の差こそあれ、日本だけでなく世界のあらゆる文化に存在しています。

 

人間は、どこの国で生きていても天と地の神秘的な恩恵なくして生き延びることは難しく、その一方、人智で解決できない天災や疫病などが流布してしまうことも。

 

そのような背景ゆえ、人間は日常の中で『穢れを払う』つまり身を清めて、節目に生命の有り難みを祝福する祭りの風習を生み出したのかもしれません。

 

穢れや不浄の対象は、病気や死、血液、それぞれの文化の中で獣と呼ばれる動物など、非常にさまざま。そこには、感染症などに繋がる日常的な汚れも含まれていますが、水で洗ってすすぎ清める習慣は、罪や災いも含めた広い意味での穢れを祓う作法として根付いてきました。

 

 

 

日本においては、神事の前などに川原などの水で身を洗い清めて穢れを祓う行為をみそぎと呼びます。

 

今も私たちが神社で参拝の際に行う手水は、その簡略版なのです。滝行などもその一つですが、宗教的な儀式の前の沐浴、器に入れた水で手や足、口などの体の一部をすすいで清めるなどの風習は、世界のほかの国にも見られます。

 

みそぎによってこれまでの穢れを祓うことは、伊勢神宮が式年遷宮で生まれ変わるように「肌をすすぎながら心の澱も流し去り、気持ちを入れ替える」ということ。

 

日々の浄化は、今の自分に清らかな生命力を満たしなおし、つねに健やかで在ろうとする“常若”の考えを体現する第一歩といえそうです。

 

日本だけでなくバリの寺院などでも、沐浴をして身を清める風習が。

 

 

 

 

『新調する』ー定期的な再生ー

新しいものを身につけて、

生まれ変わるという意識

日本には、古くからハレ(晴れ)とケ(褻)という二次元的な世界観があります。

 

ハレとは、現在でも使われるいわゆる「晴れの場」と同じ意味合い、折り目や節目、祭礼や行事など非日常的な場面を指します。一方で、耳なじみの薄いケとは日常を指します。

 

 

現代になっても、私たちは晴れの場面、何かの節目となるタイミングには、自分がまとうものを新しく替えたくなる感覚を持ち続けています。

 

元旦に向けて服や靴を綺麗にクリーニングしたり、成人式や入社式といった門出に、着物やスーツを新調する。30歳や40歳、自分の中で大きな区切りとなる誕生日にいつも使っていたお財布やバッグを新しくする方なども多いのではないでしょうか。

 

 

 

ハレとケ、そして前回触れたケガレ(穢れ)との関係性については、いろいろな説があります。

 

穢れは不浄という意味の他にも、実は暮らし営むための生命力(ケ=気)が低下すること(気枯れ)を指しているという説もあるのです。

 

そして、身の回りのものを新調して迎えるハレの祭事は、気を高めて回復させる目的もあったのでは、という民俗学的な見立てもあります。

 

 

伊勢神宮式年遷宮によって新しくなることは、昆虫が成長するにつれて脱皮を行うのと共通するものがあります。古い皮を脱ぎ捨て、新しい皮をまとって再生することで生命を繋いでいく。

 

浄化によって『穢れを祓う』ことと、伝統や自分の大切な部分を守りながらも定期的に新しく入れ替える『新調する』こと。この2つの作法を心得られた時にはじめて、若々しさが連鎖する“常若”を自分のものにできるといえそうです。

 

 

 

次回はこれらの「穢れを払う」「新調する」という日本古来の常若の考えにも通じる、HANA ORGANIC の魂と宇宙の境界線である肌と心を守り、浄め、本当のわたしへと目覚めていく Holistic Care についてお伝えしていきます。

 

次回

守り、浄め、本当のわたしへと目覚めていく。“常若”に学ぶ 、わたしたちの Holistic Care(3)

 

 

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