肌も心も透明に。わたしに還る Holistic Care|HANA ORGANIC

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2021.4.30

「情熱的で自由なわたし」を押し込めていた時期も。思い切って夢を追いかけたら、道が開けていった。(恭子さん 前編)

平賀恭子さん(ヨガ指導者)

 

《プロフィール》

1963年生まれ、北九州市小倉出身。2007年ヨガ指導をスタートし、ヨガ講師として、またヨガ講師を育てる指導者として、ヨガ業界でも第一線を走る平賀恭子さん。

NHKや新聞、雑誌、各社からの取材などを通じて、また日本最大級のヨガイベントの講師も行い、体と心をいたわることの大切さ、呼吸やセルフケアの大切さ、ひいては命の大切さを発信し続けている。

小学校や高齢者施設、心療内科などでのヨガ指導にも力を注ぎ、震災後のボランティアをはじめとする社会活動にも駆け回り、ハワイやスリランカでのヨガリトリートも主催するなど活動は多岐にわたる。今は鍼灸師の国家資格を取るべく、猛勉強中。

 

呼吸ヨガ創設者、シャンティ・アソシエーション株式会社代表取締役。一般社団法人ユース・レジリエンス研究所代表理事、東京都板橋区立学校運営連絡協議会委員

主な著書:オレンジページムック「呼吸がすべて」

 

▼Instagram

https://www.instagram.com/shantibykyokohiraga/?hl=ja

▼HP

Kyoko Hiraga (kyoko-yoga.com)

▼オンラインスタジオ(5月まで無料ヨガ体験)

朝ヨガ・瞑想 | スタジオシャンティオンライン (studio-shanti-online.com)

 

 

14年前からヨガ指導を行い、日本橋のスタジオを拠点に働く男女にストレスケアやヨガを指導。また、専門誌や女性雑誌、TV、新聞などの取材に対応して、呼吸法や家でできる簡単ヨガ、ストレスケアの方法、快眠ヨガなど求められるテーマに沿ったメソッドを紹介し、ハワイやスリランカでのヨガリトリートも運営してきた恭子さん。

 

一児の母でシングルマザーでありながら、何か役に立つことをしたい、と一念発起して道を切り開いてきたパワフルさ。それでいながら、いつも笑顔で軽やかに「ただ必要とされることを頑張っているだけだよ~」と、肩の力が抜けた柔らかい印象も本当に素敵な女性です。57歳という年齢を感じさせないアクティブさ、チャーミングなグレイヘアに憧れる女性もたくさんいらっしゃいます。

 

インタビューを担当した HANA ORGANIC 創設者 林田とも数年来の友人でもある恭子さんに、そのパワフルでありながらも軽やかな笑顔で暮らす秘訣、また今までの道のりについて語っていただきました。

 

 

 

高校生のころからアクティブで。思い切ったチャレンジもたくさん。

 

◆恭子さん、こんにちは~!! HANA ORGANIC 林田です!久しぶりにゆっくりお話しできる機会が持ててうれしいです。

 

◇ほんと久しぶりですね~!今日はよろしくお願いします!

 

◆今日は HANA STORIES という企画で、ヨガや瞑想や満ちるということについてのインタビューをしているのですけど、様々な年齢の方に取材したいね、ということで恭子さんにお声かけさせていただきました。恭子さん・・・・改めてプロフィールみたら、57歳!!全然見えませんね~!

 

◇だってもう娘が26歳ですよ~、なんかもうほんとあっという間よねぇ(笑)

 

◆グレイヘアの写真もSNSで見てましたけど、むちゃくちゃキュートですね~!

 

◇結構最初は怖かったけどね、もう二年半くらいになるかな。白髪染めを3週間おきくらいにしなければいけなくなって、だんだん嫌になってきて思い切ってやめたんです。グレイヘアで長いとちょっとアクティブに見えないかなと思って、思いっきり潔く切ってすっきりしました!

 

◆潔さが恭子さんらしくてほんと素敵!恭子さんに最初にあったのは5年前?いや、7年前?

 

◇そうですね、福岡にもスタジオ出していた時に七恵さんに出会ったのかな。ドミニク先生呼んでのクレイテラピーと講座にも参加してくれていましたよね。

 

◆そうそう、海が見えるスタジオで学ばせていただきました!砂浜の朝ヨガとかスタッフも参加させてもらって本当に素敵でしたよね。恭子さんは福岡にもともとご縁があったんですか?

 

◇そう、小倉で生まれたの。ただその後は転勤族で、東京、福岡、仙台と転々と。福岡も数年住んでいましたよ。仙台は6年生から高校生まで住んでいて、高校3年生で留学して、そこから両親が東京に移っていたから東京に戻った感じかな。

 

◆高校生の時に留学したんですか?そのころからアクティブだったんですね?

 

◇そういえばそうですね(笑)。あの頃って交換留学が流行っていて。毎年募集があって、たまたま高校のポスターで見つけて、あ、応募したい!って。でも、高校はものすごい保守的な学校だったから、廊下にポスター貼っていたくせに猛反対(苦笑)。親に言ってもダメと言われるし。それでも結局申し込んじゃって、まわりから反対されながらもぜーんぶ押し切って行っちゃいました。

 

◆わぁ、すごい情熱!

 

◇そうですね、帰ってきてからは大学受験とかでだいぶ苦労したけど、思い切ったチャレンジができてよかったな、と今も思っています。

 

◆アメリカから帰ってきて、価値観変わったりしました?

 

◇10kg太って真っ黒になって帰ってきた!(笑)

でも確かに、ちゃんと表現しないと通用しない社会があるんだな、ということに気付いたのは大きかったかな。言わないのは美徳とかそういう時代だったけど、何考えているか言ってくれないと誰にも伝わらないよ、と言われてもまれたから、たくましくなった気がしますね。

 

◆すでに今のアクティブな恭子さんの原型がしっかりありますね(笑)

 

 

◇向こうでは洋楽にはまって、音楽会社のニューヨーク支社にエアーメール送ってPRの人と仲良くなったり。どうすればPRの仕事につけますか、と質問したり文通したりしていて。そうしたら新しいレコードとか送ってくれたりして。

 

そういえばね、その会社とはすごいご縁があって。高校留学する新幹線の中でもなぜか隣に座ったおじさまがその音楽業界の人で。わたし将来御社に行きたいんです、といったら、じゃぁぜひ受けてねといわれて。

で、本当に短大卒業して受けたのよ。五次面接もあったのに最後の役員面接まで通って。いざ受かったら、父は銀行に行ってほしいと・・・・。銀行に就職するのが娘の幸せにつながると信じて疑わなかった昭和な父でした。

もう泣く泣く電話してお断りしましたよ~・・・。もう本当にすごいショックだったけど、なんかそんな時代だったんですよね。

 

 

 

敷かれたレールの上で過ごしていた時期も。私の人生これでいいの?と思っていた。

◆そうなんですね。恭子さんは突破する力もあるけど、ここは従っておこうかなぁというような柔軟さも確かに持ち合わせていますよね。

 

◇だってもう、その当時はものすごく父は怖かったもの。ぜんぶ頭ごなしだし。昔はそうよね、親だけでなく先生たちも、みんな厳しく指導するのが良いことだという風潮でしたよね。

 

◆確かにそうでしたよね。でも恭子さん、銀行で馴染めたんですか?

 

◇なじめるわけないですよ~(笑) でも、たまたま配属されたところが外国為替で、同期も多くて毎日がサークル活動みたいでなんか日々は楽しかったかな。ランチにタクシーで銀座いっていた時代(笑)

 

◆なんか今の時代では信じられないですよね、22歳くらいの新入社員がタクシーでランチって(笑)

 

◇そこには7年いて。その後は子供ができたから一度家庭に入りましたね。そのころは寿退社って言われていて、女の子たちはみんな結婚してやめるというのが当たり前だったんです。なんか婚約指輪キラキラ~ってさせたりして。わたしは、なんかそんなのフンッて感じはあったけどね(苦笑)

 

あの頃はクリスマスイブを超えたら行き遅れだ、と言われていて、25歳になって嫁に行ってなかったら世間的に顔向けできない、と父に言われるような時代だったんですよ。

で、お見合い結婚したんですよね。

 

 

◆そこから今の自由な恭子さんはどうやって生まれたんですか?

 

◇なんか高校時代の情熱的で自由な感じのわたしは、その時は押し込めていたかな。そこからは保守的な決められたことを順番にやるような生活で。でも娘が10歳くらいのときに、あ、なんかもう、そろそろ動き出さなきゃと思って。

 

結婚して母になると、ずっと誰々の奥さん、誰々のママといわれるようになって。

自分の存在意義を感じて生きてみたくなったんですよね。人生後半戦は、いろいろチャレンジしてみたくなっちゃった。それで思い切って飛び出してみたんですよね。

 

 

 

働くシングルマザーとしての出発は、修行のような日々。

◆じゃぁ、そこからはシングルマザーとして仕事を始めたんですか?

 

◇そうそう、派遣で働いていたり、商社や銀行の仕事などもやったりもしていていましたね。そんな中でヨガにも出会って。東京で専門スタジオができて通いはじめたら、あ、これはなんかいいかも!と直観的に思うようになって。

 

料理もずっと好きで、中華やタイ料理も10年以上ならって人に教えたりしていたから、ヨガスタジオ併設のカフェで、シェフ募集を見て、あ、これだ!って思って。それで応募しました。

 

そうしたらそこのカフェ、シェフがちょうどやめたばかりで、誰もいない状態で(苦笑)「あとは恭子さん、任せますので全部作ってください」といわれて。もう1からメニューも考えて仕入れもして、人も雇って全部運営をやることになったんです。

 

◆ほんとうに!?それもうオーナー店長じゃないですか(笑)

 

◇そうそう、契約社員なのにね。(苦笑)なんかものすごい働きましたよ、2年くらい。自宅から歩いて10分のところだったから、ランチやって、夜になるとヨガ教室手伝わないといけなくて、一旦家に帰って娘の夜ご飯作ったら、またスタジオに戻るみたいな。

 

一人で娘育てて、ぎりぎりまで、なんかもう修行だと思ってやっていたかなぁ。週6日(苦笑)

 

 

◇もう本当にタフですね。馬力がすごい。でもそのときにやり切ったのは、なにか今につながっていることはありますか?

 

◆もちろんたくさんありますよ~。そのころ土日はそのカフェでいろんな講座をやっていて。風水の先生や、今有名になっているこんまりちゃんの整理術とかも、オーガナイズしていて。だからそういうイベント企画とか運営とか、それは今につながっているかなと思いますね。今のうちのスタジオはいろんな講座をやっていますからね。

 

健康とか美容とか、根っこから自分を変えていくような講座が好きで、主催していましたね。

 

 

情熱とバイタリティで人生を切り開きつつも、時に敷かれたレールの上で悩んだりすることもあった20代、30代。そこでの葛藤や挑戦が、アクティブでありながらも肩の力の抜けた軽やかな今の魅力につながっているのだと感じました。

 

後編ではそんな恭子さんの今の想いや活動もお伺いしていきます。

 

 

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