2022.6.24
自然の中で生まれ育ちました。直感を大切にしたら、導かれるように扉が開いていきました。(弥生さん 後編)
国家公務員から一念発起してセラピストとなり、そこからご自身の夢だったお店オープンへと着実に歩みを進めてきた弥生さん。そこに至るまでには幼いころから熱中したものにはとことん情熱を注ぐ性格や、紆余曲折ある中でもご縁を大切にして諦めない芯の強さを感じさせるエピソードも盛りだくさん。後半では、幼いころから今までの弥生さんの歩んできた道を取材しました。
≫人それぞれ持っている身体の力は違う。だから人と比べるのではなくて、自分の心と体を一番に考えてあげてほしい。(弥生さん前編)
◆ 後編では弥生さんの小さいころからのお話を伺いたいと思います。お生まれは1977年ですね。福岡のご出身ですか?
◇ いえ、出身は大分県の佐伯市なんです。すごい田舎です。大自然の中で生まれ育ちました。まだ実家は薪風呂なんですよ。父が薪割りしていて、今もまだそこに実家があります。
私と妹と、父と母、父方の祖父母。昔ながらの大家族の中で育ちました。
◆ どんなご家庭だったんですか。
◇ おばあちゃんと母がお味噌を作って。麴菌の花を咲かせるところから自分たちでやっていました。裏山にはお茶畑があって、製茶工場に家族でもっていったり、はっさくの木があったり。裏山でタケノコをとっておばあちゃんがゆでてくれたり。
もうほんと自然の中で自然と共に暮らすという感じでしたね。
おじいちゃんおばあちゃんは農家で、お父さんお母さんは兼業農家。父は長男で家を継いでいて、私も長女だから小さいころからあなたは家を継ぐんだよと言われて育ちました。
でもその家を継ぐんだよ、というのは両親だけが言うわけではなくって、周りの大人みんなに言われるんです。子供の頃はそれがとても窮屈に感じていましたね。
公務員になったのも、公務員になって遠いところへ赴任しちゃおう、と。そうすれば文句を言わせず家から出ていけるんじゃないか、国家公務員なら反対のしようがないだろう、と。なんかそんなことを考えていた気がします(苦笑)
◆ なかなか計画的な子供ですね(笑) 学生の頃はどんな女の子だったんですか?
◇ 中学・高校と剣道をしていて結構がんばっていました。県南大会個人戦で優勝とか。
進学校だったんですけど、すごい厳しい部活で、部活に疲れてほとんど家では寝てましたね(笑) 全然勉強もしてなかったな~。
家族は勉強しなければ家に残ってくれると思ったみたいで、勉強しろなんてまったく言わなくて。おじいちゃんなんて、「勉強はするな、勉強なんかしたら頭壊すぞ」って(笑)
小さい頃は先生が何を求めているかとかをあまり気にせずにマイペースだったから、時々なんか怒られたりしていましたね(苦笑)
中学校三年生の時に塾の先生が学校の先生は教えてくれないような面白いことをいろいろ教えてくれる、これまで知ってる大人とは全然違う変な先生で。その先生に教わりだしてから勉強が面白くなってきて、まぁまぁできるようになったんですよね。で、地域で一番いい高校に入学できて、そうしたら小学校の先生から弥生ちゃんがあの高校に入れるなんてびっくりという電話がわざわざかかってきたくらい期待されてない子でした(笑)
◆ なるほど。国交省の仕事はあまり頭に入ってこなくて、アロマならいくらでも勉強できた、という感覚と同じですね。自分が興味があることに没頭できるのが幸せなんですね。
◇ そうですね、剣道も確かにすごい夢中になって楽しかったし、そうなのでしょうね。中学の時の顧問の先生がすごく剣道のベースをしっかり教えてくれる人で、本当に尊敬していて大好きだった。
なんていうのかな、宇宙の法則や真理につながっているようなことだとすんなり自分の中に入ってきますね。
あと、母がフルタイムで働いていたからおばあちゃんについてまわる時間が長くて、小さいころから大人の井戸端会議を聞いていたから、なんか耳年増だった気がします。
おばあちゃんも、母も好きだけど、それぞれ意見があったり、周りのおばちゃんたちも実はそれぞれの主張があるんだなぁとか、それぞれの正義がある、一人の人間にもいろんな側面がある、ということを、いいとか悪いとかではなくてそんなもんなんだなぁと思って育ちましたね。
◆ そういう意味では一番いい子育ての環境で育ったのかもしれませんね。これが正解というのがない世界ということは型にはめられていない、自然の中でおおらかに育ったという事のように思いますね。
◇ そうですね、あまり人の目を気にせずに育った気はします。
◆ 答えのない時代になってきているから、やっぱり答えにあわせるのではなく自分の答えを探すことが生きる力ですよね。そういう環境で育ったから、自分のやりたいことを見つけてそれを形にしていく力になっているのでしょうね。
◇ そうですね。なんかいつか見つかるんじゃないかなぁと漠然と思っていて。それが見つかったのが、流産の後でいろいろ勉強した時だった気がします。
それがもうちょっと遅かったら、もうこのままこの職場でいいやと思っていたかも。だから40歳までは待てなくて飛び出したんですよね。ぜんぶ直感なんですけどね。
なかなか子供を授からない中で自分の体を学び、自然療法を学んで。
◆ ぜんぶお子さんが教えてくれたんですね。
◇ 本当にそうですね。子供を産んだ時に、あぁ自分って動物なんだなって本能が働いているだなって思いました。3回の流産の後にやっと授かった子を出産するときに、子供の心音がうまくとれていないことがあって。いきんでいいですよと言われてもいろんなことを考えてしまって、なんか怖くて。
でも「大丈夫よ」と看護師さんにいわれて、思い切って産もうと思ったときに、あかちゃんがぐるって回りながら出ていくのを感じられたんです。それで今足の裏がこの辺にあるかな、と思って、私のお臍の下あたりに手のひらをあてたんですよ。そうしたら、その手のひらを思いっきり蹴って赤ちゃんが出てきたんですね。
なんかその時、赤ちゃんだけが生まれるわけでも、お母さんだけが生むわけでもなくて、本当に本能的なつながりがあって、自分で私のお腹を蹴っ飛ばして出ていくなんて本当に神秘だなぁって。その生き物としての強さ、たくましさに何か感動しましたね。
そういう経験もあって、なんか自分がいろいろ悩んで選択してきたことが本当に間違いじゃなかった、生き物である自分が自然の中で生かされているんだなぁと本当に思うようになりました。
◆ 江口さんの話を聞いていたら、おこるべきしておこること、出会うべきして出会う人をちゃんと引き寄せていっている人生なんだなぁと、すごく素敵だなぁと思いました
◇ そうですね、計算して作ってきた人生じゃないけど、なんか直観を大切にして生きていくことが大切なんだろうなぁって思いますね。
そうそう、仕事辞めようかなと思って模索していた時に、HANA ORGANIC 創設者の林田さんに出会ったんですよ。2013年くらいかな。
日本ホリスティックビューティー協会というところの九州支部代表をされていて。そのお茶会で協会の代表理事の岸紅子さんと七恵さんとお会いして。
あと協会のアドバイザーの資格をとって、アンバサダーにも選んでいただいたり、NARD JAPAN アロマ・インストラクターもとって。
その頃の学びは、HANA ORGANIC さんは宇宙と表現されているけど、そういう全部がつながっていて全部が巡っている、という考え方がすごく今の土台になっている気がしますね。
HANA ORGANIC さんの商品を扱わせていただくときも、そこに使われている言葉がいちいち納得というか、自分が学んできたことや体感してきたことがすーっと入る内容で。だから本当に今選んできていることが全部正解なんだなぁと思って。
今思うと、子供を産むときって本当に何も知らないんですよね。若すぎて。学校で教えてくれるわけでもなく、社会の中で当たり前のように化学薬品や添加物まみれの暮らしがあって。その中でどうやって子供を授かって生んでいくかということがやっぱりよくわからない。
そんな不自然な状況を、今の自分の活動がほのの少しでも影響を与えていけられたらいいなと思う
不自然が全てだめということではなく、当たり前のことを選択していくことの気持ちよさを知ってほしいんです。子供たちの世代に、もしそれが間に合わなくても孫の世代に、そっちの方向にベクトルが行くような仕事をこれからも続けていきたいと本当に思っています。継続するにはお金も必要だから、なかなか甘くはないですけど、ね。
◆ 国交省を辞めてから6年ですね。そこから今の場所ができたのは本当に理想形に近いのでしょうね。
◇ そうですね。もう想像できていないくらいの状態ですね。でも実はまだ他にもやりたいことがあって、いろいろと種まき中なんです。この想いって一人でやっていても小さいけど、生徒さんたちもみんな仲間なんで、共有していけるんですよね。
ほんとうに国交省を辞める時には、やめるときの収入は超えるように頑張るって決めたんですよね。でもまだ超えれてはないけど、やりたい事業に少しずつ投資できるようになったので本当に良かったと思います。プライベートには使えてないけど(苦笑)。
◆いい意味で公私混同・・・というより、公私一体だから、プライベートに使う必要ないのかもしれないですね。
◇ほんとそうですね。子供はまだ一番下が小学校四年生なのですけど、お店はみんなで協力し合いながらやっているから、無理がないですね。そもそもこの仕事をやるときには、いくら忙しくても自分の体を大切にする、健康を崩さないようにしながらやる、ということも自分に約束していましたので。
自然体で、一歩一歩また次のやりたいことに向かっていければと思っています。
◆ 弥生さんのこれから引き寄せるものがまた楽しみです!お話をお聞かせいただきましてありがとうございました。
◇ こちらこそ、素敵な機会をありがとうございました。これからもどうか宜しくお願いいたします。
3人のお子さんのママでありながら、どこまでもしなやかに自然体のまま仲間を増やし、夢を実現していく弥生さん。自分の体験からの学びをなんとか女性達に役立てたいと、常に学び続けお客様のお声に耳を傾け続けます。弥生さんの背中を見て育つ次の世代がきっと出てきて、この輪は時代を超えて続いていくのだろうな、と感じるインタビューでした。
弥生さん、これからも一緒に Holistic Care を広めていきたいですね。ありがとうございました。
最後に、読者のみなさまへメッセージをお願いいたします。
アロマテラピーでは本能が療法に大切な役割を果たします。好きな香り、何だか好まない香り、素直に感じ選択することは自分を治癒に導くとともに、自分の本音に気づく時間にもなります。
日々の生活の中でも心地よさを素直に受け止め流れに身を任せてみることで、見えなかった景色が現れ進むべき道が鮮明になることがあります。
私たちの周りは不思議なくらい愛で溢れています。温もりを持った夢や計画を口に出すと応援者が現れます。
行動することは勇気やエネルギーが必要な時もあるけれど、きっと大丈夫。その時、その時の心地よさを指針に人生を自分で選択、決断し一緒にワクワクしながら歩んでいきましょう。
ありがとうございました。
江口弥生
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